議論の作法

日本人は議論が不得意?

最近「議論」について考えることがありました。多くの人は議論することが苦手(嫌い?)だと思うのですよね。(そういう私も得意ではありませんが・・・。)建設的に意見交換しなくてはいけないのに、どうも感情的になってしまったり、別の話題に脱線させてしまったり、論点そのものを有耶無耶にしてしまう人が多いように感じます。そういう行為が、議論自体を「面倒くさいな」と敬遠させてしまう心理を増長させているような気がしてなりません。(私の取り上げる「議論」とは、ディベートのように相手の意見を打ち負かすとかではなくて、発言と質問を繰り返しながらお互いの意見を確認して、「正しい結論を導く」タイプの議論ということでご理解ください。)

議論にならない状況

では、具体的にどんな行動が議論を中断してしまうのか、挙げてみたいと思います。

  • 攻撃的発言。「私は〇〇とか大嫌い!」
  • 究極発言。例えば「人はそれぞれだからなぁ」
  • 自己完結。「いや、別にそれはいいんだ」
  • 無気力発言。「どうせ、〇〇だから」
  • 横暴。「俺の話が聞けないのか!!」

上記のような行動をとってしまう人がいると、せっかくの建設的な議論が台無しになってしまいますよね。人間は高圧的な意見や、攻撃的な発言に耳を貸そうとしなくなります。人間は都合の良い事実は認めたくても、不快な事実は認めたくなかったりするものですが、相手の発言を遮る、また相手へ伝えるという作業をやめてしまったら、それは議論を放棄しているも同じ事です。

議論に大切なこと

とにかく、一番大事なのは人の話は「忍耐強く、最後まで聞く」ということだと思います。相手が間違っていようが、まずは話を聞いてみる。質問はそれからです。何が問題なのかをわかりやすく、伝える。相手が理解できなければ、理解できるように工夫する。決して「なんで、そんな理屈もわからないんだ!」となってはいけません。あと、一番困るのは会議のときなんかに、ちょっと膠着しただけで皆の意見を無理やりまとめようとする人。「要はさ〜」・・・って全然結論まで程遠いのにね。そういう人がみんなが腹の中で言わないことを一番わかってなかったりする。

そして、もうひとつ。結論を導くのは大事だけど、皆が納得できるような結論へ着地させること。ここがディベート(討論)とはちと違うところかも。究極的には皆が納得しているのであれば、無理やり結論を出さなくても良いと思います。(出だしにあった有耶無耶とは誰も納得しないまま終わるということ)

そんなわけで、不詳ではありますが、私の議論についての考えを述べさせていただきました。ご意見、ご感想などあれば一言よろしくお願いいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA